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大阪地方裁判所 平成7年(ワ)8859号 判決

原告

北村悦子

被告

安田火災海上保険株式会社

主文

一  被告は、原告に対し、三九万円及びこれに対する平成七年一〇月四日から支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その七を原告の負担の、その余を被告の負担とする。

四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、一二五万円及びこれに対する平成六年二月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告の運転する普通乗用自動車(以下「原告車両」という。)に秋田聡(以下「秋田」という。)が運転する大型貨物自動車(以下「秋田車両」という。)が追突した事故に関し、原告が被保険者である自動車総合保険契約(以下「本件保険契約」という。)に基き、被告に対し、保険金の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実

以下は当事者間に争いがない。

1  秋田は、平成六年二月六日午後三時五〇分ころ、秋田車両(大阪一一え一〇二七)を運転して、大阪府枚方市尊延寺六丁目三〇番七号先路上において、停止していた原告運転の原告車両(大阪五四も七六二七)に秋田車両を追突させた(以下「本件事故」という。)原告は本件事故により、少なくとも右頭部打撲、右臀部打撲、外傷性頸部症候群の傷害を負った。

2  北村隆義(以下「北村」という。)と被告は、本件事故前、次のとおりの本件保険契約を締結した。

(一) 保険期間 平成五年一二月二二日から一年間

(二) 想定運転者 北村及びその家族

(三) 被保険自動車 原告車両 車体番号 JJ一一〇―九二〇〇七〇六

(四) 搭乗者傷害保険金額 一〇〇〇万円

(五) 搭乗者傷害医療保険 入院日額 一万五〇〇〇円

通院日額 一万円

(六) 搭乗者傷害条項

(1) 「第一条 被告の支払責任(以下「本件保険契約一条」という。)

契約者が保険証書記載の自動車に正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者が次の急激かつ偶発な外来の事故により身体に傷害を被ったときは、この搭乗者傷害条項および一般条項に従い、保険金(死亡保険金、座席ベルト装着者特別保険金、後遺障害保険金、重度後遺障害特別保険金及び医療保険金をいいます。以下、同様とします。)を支払います。

(1) 被保険自動車の運行に起因する事故

(2) 略

(2) 「第八条(医療保険金、以下「本件保険契約八条」という。)

〈1〉 当会社は、被保険者が第一条(当会社の支払責任)の傷害を被り、その直接の結果として、生活機能または業務能力の滅失または減少をきたし、かつ、医師の治療を要したときは、平常の生活または業務に従事することができる程度になおった日までの治療日数に対し、次の各号に規定する金額を医療保険金として被保険者に支払います。

(1) 略

(2) 病院または診療所に入院しない治療日数(病院または診療所に通院して医師の治療を受けた日数をいいます。)に対しては、その治療日数一日につき保険金額一〇〇〇分の一。ただし、一万円を限度とします。

3  原告は、本件事故当時、北村の家族で被保険者であった。

4  原告は、医療法人医恵会田中第一病院(以下「田中病院」という。)に、平成六年二月六日から同年八月九日まで通院加療(実治療日数一二四日)をし、平成六年二月二一日、有沢総合病院(以下「有沢病院」という。)に一日通院した。

二  (争点)

1  原告の田中病院及び有沢病院に通院した合計日数一二五日が右第二の一2(六)の要件を満たしているか。

(一) 原告の主張

原告は、本件事故により右頭部打撲、右臀部打撲、外傷性頸部症候群の傷害のほか右肩及び腰部の傷害を負い、本件事故から症状固定の日まで一八五日間のうち、一二五日間田中病院及び有沢病院に通院し、その通院状況からすれば、右通院期間は右第二の一2(六)の要件を満たしていたので、一日一万円あて合計一二五万円を支払うべきである。

(二) 被告の主張

有沢病院の通院日(一日)は田中病院通院日と重複していた。

右通院期間のうち、原告の傷害のうち本件事故によるものは、右頭部打撲、右臀部打撲、外傷性頸部症候群の傷害だけで、それは平成元年三月ころには、平常の生活または業務に従事することができる程度に直っていたから、右第二の一2(六)の要件を充たすのは、平成六年三月一九日までの四二日間(実通院治療日数三三日間)に限られる。右肩及び腰部の治療は本件事故と相当因果関係がない。また、原告は、本件事故とは関連性のない神経症の治療もしていた。

2  原告が田中病院及び有沢病院に通院した日数一二五日が右第二の一2(六)の要件を満たしていないという取扱いの主張を被告がするのは信義則違反として許されないか。

(一) 原告の主張

被告は、たまたま加害者の加入していた対人賠償保険の保険会社であり、原告に対する右保険の賠償として、平成六年二月六日から同年七月一六日まで全日数一六〇日と、同年七月一七日から同年八月九日までの治療期間のうち実治療日数一八日の合計一七八日間の休業損害を認めて原告と示談していたが、右保険と本件保険の搭乗者傷害保険金の要件は同じであるのに、異なった取り扱いをするのは矛盾した行動であり、したがって、被告の右第二の二1(二)のような主張をして異なった取扱い主張することは信義則に反して許されない。

(二) 被告の主張

本件保険契約は、要件の点でも必ず医師の治療を受けた日であること、生活機能または業務能力の滅失減少が他覚的所見の裏付けが必ず必要であること、事故と生活機能又は業務能力の滅失減少との間には相当因果関係と内容の異なる「直接の結果」が必要なこと、本件保険契約は第一〇条(以下「本件保険契約一〇条」という。)から、違法と認められる事情がない限り、保険会社の判断が尊重されるものであることなどの点で前記対人賠償保険と異なるが、さらに本件保険は損害てん補性のない定額保険であるなどの理由から、損害てん補性のある前記対人賠償保険とは目的が異なるから、同じような要件であっても異なった取扱いをしても矛盾せず、被告が本件保険で右第二の二1(二)のような主張をしても信義則に反するものとはいえない。

第三争点に対する判断

一  争点1について

1  前記第二の一の事実、証拠(甲一、二2、三、乙一ないし一一、原告本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、右証拠中、右認定事実に反する部分は採用できない。

(一) 本件保険契約締結当時から本件保険契約の「生活機能または業務能力の滅失または減少を来たし、かつ医師の治療を要したとき、平常の生活または業務に従事することができる程度になおったとき」のうち、「生活機能の減少」とは、日常生活上の起居動作にかなり支障があること、「業務能力の減少」とは、有識者の通常業務遂行が時間的、能率的に平常よりかなり困難になる場合をいうと一般に解されており、被告では、傷害保険損害マニュアルで、「支障のない程度になおった」ときの判断として、日常生活上通常の状態を一〇〇パーセント、完全な滅失状態を〇パーセントとした場合、七〇パーセントの回復をもってあたると処理してきていた。

(二) 原告は、昭和二八年七月二八日生まれの女性で、本件事故当時は四〇歳で、人材派遣のような新関西工業という会社で、給与を封筒に入れたり、銀行に金の出し入れのために行ったり、帳簿をつけたりする一般事務を担当する会社員であり、同時に夫(北村)と子供ふたり(本件事故当時八歳と一二歳)のいる主婦であった。

(三) 原告は原告車両の運転席に乗って、子供を助手席に乗せ、ブレーキを足で踏み両手でハンドルを持ってシートベルトを着用していた状態の時、秋田車両に後ろから追突され、その衝撃で鼻を突き上げるような感じを受けた。原告車両は全損になった。

(四) 原告は、本件事故当日、田中病院で、診察を受け、頭痛、右肩より上肢にかけて重だるい感じ、手掌部がジンジンしてきたなどを訴え、頭部CT検査、各部位のX―P検査及び神経学的検査をしたが、いずれも異常はなく、治療としてはビタミンE、鎮痛剤、胃腸薬の内服薬の投与と外用薬が使用された程度に止まった。原告は、以後同年八月九日まで実通院治療日数一二四日間同病院に通院した(平成六年二月六日から同月末日まで二三日間中が一九日間(右通院日中には、原告が有沢病院に通院したと主張する平成六年二月二一日もあった。)、同年三月が二〇日間、同年四月が二一日間、同年五月が二三日間、同年六月が一四日間、同年七月が一九日間、同年八月一日から同月九日までの九日間中が八日間)。原告は、田中病院で、頸部緊張感や頭重感、両手のしびれ感、歩行時の下肢のつっぱり感なども訴え、不定愁訴が多かった。原告は、両肩と腰部の理学療法(超音波)を受けるようになった。そして、同年二月一五日、再度、頭部CT検査を受けたがやはり異常はなかった。また、頸部のMRIの検査にも特別な異常は認められなかった。原告は、同年一六日からは頸椎牽引療法も断続的に実施されるようになった。以後原告の田中病院での治療は以上のような理化学的療法に止まった。

(五) 被告の担当者は、平成六年三月二九日ころ、田中病院の主治医から、原告の症状につき、同時点での就労が可能という判断を受けた。

(六) 原告は、平成六年四月九日、田中病院で、左上肢のしびれ感はあるが、徐々に軽快しかかっておると診断され、就労の指導を受けていた。

(七) 田中病院の医師田中英治は、平成六年八月九日に原告を診断し、同月一五日付で、症状固定日、平成六年八月九日、傷病名が頭部打撲、右臀部打撲、外傷性頸部症候群、自覚症状が頭重感、項部痛、両上肢倦怠感、時々手指シビレ感、精神・神経の障害他覚症状及び検査結果が他覚的に著明なる病的反射等の出現なしも項部両肩関節周囲の神経症状頑固持続とする後遺障害診断書を作成し、平成一一年一一月一三日付の、頭重の為、外傷性頸腕症候群、腰痛症の病名にて平成六年八月一五日より同年一一月二八日間の九日間通院した原告に治療を施行した旨の診断書を作成した。

(八) 大阪市立大学医学部法医学教室の医師前田均は、直接原告の問診や検査はしなかったが、田中病院の診療録と原告車両の写真を検討した結果、本件事故による受傷損傷そのものは、頸椎周囲の軟組織のみの傷害で、純医学的には通常は概ね一か月以内で治癒する程度の軽傷であったものと判断するのが妥当であると考えられること、さらに万一のことを考慮して臨床上の経過観察期間を含めても、長くとも概ね三か月位の治療に該当する程度の傷害であったこと、本件における治療の長期化には、本件事故による損傷や素因的既存病変以外の非外傷性の原因(精神・心理的あるいは心因的因子も含む)が大きく関与していたものと判断せざるを得ないこと、身体傷害そのものによる後遺障害の発生は考慮し難いこと、以上のことから、純医学的・客観的にみると、本件事故との直接的因果関係を考慮し得る身体傷害期間は、長くても受傷後一か月程度までの間(平成六年三月初旬頃治癒)と判断するのが妥当であること、臨床上の経過観察期間を含めた医療保障(損害賠償)という観点からは、長くても概ね三か月程度(平成六年五月初旬頃まで)のものと判断するのが妥当であること、安静臥床期間に社会・職場復帰の経過観察期間を加えても、受傷後二週間程度(平成六月二月二〇日頃)で一般労働就業可能であったものと判断するのが妥当であると思われるとの意見を述べている。

(九) 原告は、平成六年三月一九日後も、田中病院で、両前腕、両上肢のだるさ、耳鳴り、全身倦怠感、項部から両肩、腰部に鈍痛、両上肢のしびれ感、肩の痛み、頸部痛、両手、両足のしびれ、両肩、両腰部の圧痛など多くの愁訴をし、田中病院の治療録の同年五月二日欄では症状がんこ持続、同年八月一日欄では自覚症状強とまで記載されていたが、同月九日、症状固定として治療が打ち切られた。以後も症状は顕著に憎悪することはなかった。

2  右事実からすると、次のことがいえる。

本件保険契約に基づく搭乗者傷害医療保険金の支給を受けられるかは、契約当事者の合理的意思解釈に基づく支給要件(本件保険契約一条、同八条)の有無の解釈によって決められるものであると解するのが相当であるところ、本件保険契約当時において本件保険契約八条の「生活機能または業務能力の滅失または減少を来たし、かつ医師の治療を要したときは、平常の生活または業務に従事することができる程度になおった日」のうち、「生活機能の減少」とは、日常生活上の起居動作にかなり支障があること、「業務能力の減少」とは、有識者の通常業務遂行が時間的、能率的に平常よりかなり困難になる場合をいうと一般に解されており、被告では、傷害保険損害調査マニュアルで、「支障のない程度になおった」ときの判断として、日常生活上通常の状態を一〇〇パーセント、完全な滅失状態を〇パーセントとした場合、七〇パーセントの回復をもってあたると処理されてきていたから、これらの要件の有無を決める当事者の合理的意思は右一般的解釈や運用のとおりであったと推認できる。

そこで、右解釈を前提とすると、確かに、原告は、田中病院で、多くの愁訴を訴えていたし、同年五月二日の診療録には、「症状がんこ持続」と記載されていたことからすると、原告の右訴えは相当激しいものであったと認められ、原告車両も全損だったし、田中病院の後遺障害診断書には症状固定日、平成六年八月九日、傷病名が頭部打撲、右臀部打撲、外傷性頸部症候群という記載はあったが、原告車両が全損といってもその内容ははっきりしないこと、原告が本件事故で受けた衝撃は前記認定のとおり鼻を突き上げるような感じを受けた程度であったなどの事故内容であったこと、原告の訴える症状は他覚的所見に乏しく、田中病院におけるレントゲン、CT、MRI等の各検査では異常はなく、治療も早い時期から牽引や投薬など理化学的療法に止まり、もっぱら原告の愁訴に応じて継続されたことが窺われるなど治療経過であったといえること、特に被告の担当者は、平成六年三月二九日ころ、田中病院の主治医から、原告の症状につき、同時点での就労が可能という判断を受けていたこと、原告本人の問診や検査はしなかったが、診療録から専門家である前記前田医師が検討した結果、純医学的には通常は概ね一か月以内で治癒する程度の軽傷であったものと判断するのが妥当であるなどの意見を持ったが、しかし問診等はしていないものである程度幅を持たせて右意見を考量するのが妥当であることなど、本件事故の内容、原告の田中病院での検査内容や治療内容、医師の意見などからすると、遅くとも原告は、本件事故により、頭部打撲、右臀部打撲、外傷性頸部症候群の傷害を負ったが、その傷害は平成六年三月末日には、前記「生活機能または業務能力の滅失または減少を来たし、かつ医師の治療を要したとき、平常の生活または業務に従事することができる程度になおる」まで快復していたと認めるのが相当である。なお、原告は、右肩及び腰部の傷害も主張する。確かに、原告は、田中病院通院中から肩や腰の痛みを訴え、田中病院の診断書(甲三)にも、外傷性頸腕症候群、腰痛症の病名が掲げられていたが、右診断書は作成日が平成一一年と作成日が不自然なこと、治療録にある右肩や腰の愁訴も検討した上、田中病院では、病名を頭部打撲、右臀部打撲、外傷性頸部症候群とする後遺障害診断書を作成し、右作成後原告の症状の特別な変化は窺われないことからすると、原告が本件事故により受けた傷害は頭部打撲、右臀部打撲、外傷性頸部症候群だけであったと認められるのが相当である。

以上より、原告が本件事故により受けた傷害で本件保険契約の要件を満たし搭乗者傷害の医療保険金として請求できるのは、一日一万円の、平成六年三月末日までの実通院治療日数分三九日分(平成六年二月二一日は田中病院と有沢病院の双方に通院したようであるが、本件保険契約の解釈から支給が一日一万円にとどまるので、結局同日は二日分でなく田中病院の一日分だけで計算するのが相当である。)、合計三九万円と認めるのが相当である。

二  争点2について

前記第二の一、第三の一事実、証拠(甲二1、2、乙二ないし五、八)及び弁論の前趣旨によれば、被告は加害者が加入していた対人賠償保険の保険会社であって、右保険の賠償として、原告に対し、平成六年二月六日から同年七月一六日まで全日数一六〇日と、同年七月一七日から同年八月九日までの治療期間のうち実治療日数一八日の合計一七八日間の休業損害を認めて、示談していたが、本件保険契約の搭乗者傷害の医療保険では、原告の請求棄却を求め、支払の対象は平成六年三月一九日までの実通院治療日数(三三日間)を超えては認めようとしないが、本件保険契約は損害填補性のない定額保険である点、対人賠償保険とその性質が異なり、両者を受け取っても二重の利得とはならないこと、要件も本件保険契約の搭乗者傷害の医療給付を受けるには事故と傷害との間に因果関係の直接性が必要であるなどまったく同じでないこと、本件保険契約では本件保険契約一〇条のような決定権について規定が特別に設けられていたことなどからすると、ただ要件が同じようなものであっても、まったく同じでなく、しかもその要件もそれぞれの目的に従って解釈されるべきであるから、同じ保険会社として被告が本件保険契約と対人賠償保険とでそれぞれの目的にしたがって要件を検討した結果、異なる取り扱いをしても、そのことから直ちに被告の態度に信義則違反があるとはいえず、他に被告に信義則違反を認めるに足りる的確な証拠もない。したがって、原告の主張は採用できない。

三  結論

以上によると、原告の被告に対する保険金請求権は三九万円及びこれに対する本訴状が被告に送達された日の翌日である平成七年一〇月四日(本件保険金請求権は被告が期限到来を知るか、知らなくても期限到来後債権者(原告)から請求を受けた日が履行期である。右送達日は当裁判所に顕著な事実である。)から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。

(裁判官 岩崎敏郎)

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